乳がんと一緒に

2014年乳がんを宣告され, 手術をしない選択をした患者の日記

Biopsy(生検査)と日本行きを決定する

2014年6月26日にBiopsyのために病院に行きました。

この日までに日本行きを8割9割決めておりましたが、まだ最終決断として誰にも言ってませんでした。悩んでいたので。

 

日本でBiopsyをするかカナダでするかとっても迷いました。

日本で初期治療をするなら日本でやった方がいいのかもしれませんが、次の日にもう予約が入っており、色々キャンセルをするのも前日だと遅すぎるかな?とかってに解釈してカナダでこの検査をして、スライドを日本に送る手配をする方針に決めました。

日本のがん研有明病院の手続きを手伝ってくれた人曰く、Biopsyは身体に負担とリスクが高いのでどちらにしても1回にした方が言われてました。

色んな考えなきゃいけない事や情報が多すぎて頭がかなりパンク状態でしたので、後日の検査は電話でキャンセルできるが、次の日のは近すぎたので諦めたのが理由かな?

面倒なことが多すぎて心がパニックってましたね。

 

で、実際のBiopsyですが、5か所サンプルを取られました。

まず局部麻酔をかけます。

私のシコリは大きくてわかりやすい場所だと思います。

大きい注射器でシコリの細胞を抜き取るのですが、なぜ5回も取ったのかわかりません。

正直言って麻酔が聞いてるのに振動で痛かった記憶です。

 

そのあと病院内にある記録係みたいな場所で検査結果のコピーをもらう手配をして、そのあとファミリードクターに会いに行きました。

 

ファミリードクターにこれからの流れをきき、私は日本での治療と手術を行う可能性をここでも聞きましたが、まあOnclogysitと同じように多少不機嫌になりました。

でも、決めるのは私しだいとは言われました。

結構この辺は典型的な日本人である私は人を怒らせるくらいなら自分の意見を諦めるタイプなので、この時点ではかなりの確率で日本に行くつもりだったのに、どうやって先生に説明しようかまだ悩んでいました。結局この日には何も言えず。

 

ファミリードクターに会った後、Mammogram、胸部のX-rayと超音波の検査結果をCDにコピーしてもらい25ドル支払ってそれを取りに行きました。

 

この日は仕事に戻らず、旦那と話し合いをして私の日本行きを最終的に自分で決めて、てその手続きをやることになりました。

主人は正直私にカナダに残って欲しかったと思います。

彼自身がが私のそばにいて助けることができるし、状況がわかるから。

子供たちは日本でいう小学校高学年と中学生で、それほど手はかからないとは言え、仕事をしながら食事の支度など家事すべてをやってもらうのは気が引けたのは事実です。

でも私の身体なので私が納得する治療を選んだ方が良いと後押しをしてくれました。

本当にその一言には救われました。家族と一緒にいたい気持ちは本当に大きかったのですが、カナダの医療システムに対する不満があまりにも大きくて日本を選んだのも大きいです。信頼できなければ良い結果にもならないと思って。