乳がんと一緒に

2014年乳がんを宣告され, 手術をしない選択をした患者の日記

日本に帰国する直前にしたこと

日本で治療をすることを決め、最初の予約が2014年7月2日でした。

色々な手続きもあるので、日本に2014年6月30日には到着する必要がありました。

なので、カナダを6月29日の飛行機で出発30日に日本着に決め飛行機を手配しました。

JALのオフィスに直接電話して予約をしたのが6月26日です。

 

6月27日(金曜日)にしたこと:

  • JALに電話して発券する
  • 日本の主治医を紹介してくれた友人と妹と細かい打ち合わせをする。
  • Bone Scan、UltrasoundとOnclogysitの予約が確定していたので、それらをキャンセルすること。
  • Onclogysitは直接話せなかったので留守電にメッセージを残し、外科医の受付とは電話で話せたので、外科医が予約を入れてくれて、まだ決定していない予約のキャンセルを頼みました。で、戻ってきたら連絡するので継続をお願いしました。
  • 職場に行き、みんなに今の状況を説明して休暇中だった社長さんへメッセージを残す。日本に着いたらメールで連絡することを伝えました。
  • ランチ時間にファミリードクターに会いに行き、
  1. 日本行きを説明してお礼とお願いをしました。
  2. 日本行きについてはたぶん理解してもらったとは思わないけど、英語で説明を受ける不安や、日本の家族のサポートや日本で最先端の治療が受けられるから、みたいな理由を言った気がします。 
  3. 新患として受け入れてくれたことに物凄く感謝していることを伝え、戻ってきた時に継続してお世話になりたいことも伝えました。
  4. 先生が持っている検査結果のコピーをもらう。
  5. Biopsyのスライドができたら旦那が病院から借りてそれを日本に送らなきゃいけないため、その受けとりの手配を頼みました。
  6. 日本の先生に渡す手紙をファミリードクターに頼みましたが、これは断られました。

 

6月28日(土曜日)

この日のメモは見つからず。 

たぶんひたすらスーツケースに必要な物を詰めて、家族と一緒にいた記憶です。

子供たちにこの日ではないけど、私が乳がんになったこと、日本で治療することは伝えました。

12、13歳だった息子はどこまで理解してこれたのか疑問ですが、15歳だった娘は分かってたようで初期なんだよね、って泣いてたのを思い出します。

正直言って詳しくは子供には伝えてなく、日本で詳しく検査をしてもいに行くと説明しました。なぜ日本で、とは説明できませんでしたが。

いつまで日本に滞在するかもその当時わからず、不安だらけでしたが、一緒に行きたがっていた旦那が残って子供の面倒を見ながら仕事も家事も全部やってもらえることに心から感謝しています。