乳がんと一緒に

2014年乳がんを宣告され, 手術をしない選択をした患者の日記

放射線治療専門医に会う

放射線治療をやると決めてから

実際に最初に専門医にあう予約は結局2020年4月1日でした。 

2月上旬にあった癌専門医の話では予約は2~3週間待てばいい、

って言われてたのに。

その待っている間にコロナの騒ぎがどんどん酷くなり、咳の原因を調べてもらうために腫瘍専門医の予約を取ったときに、直接会えず電話カウンセリングに代わってたので、放射線治療専門医に会えるかドキドキして待ってました。

 

でも、さすがに初めてなので実際に病院(BC Cancer Centre)に行って直接お話できました。コロナ騒ぎで病院に入るまで色々コロナ関係の質問をされて、主人は最初ダメと言われましたが、最初の診察だし交渉して入れてもらえました。

最初に待ってる間に色々アンケートに答えなきゃいけないのですが、頭が英語モードでなかったので結構大変だった記憶です。

後で、間違った答えをしていることも判明したし。

待合室も席が3つ間隔が空いて座れないように工夫されてましたね。

最初にあったのは予約のあった専門医ではなく、カウンセラー的な人で、

その人が私が答えたアンケートをもとに色々また質問してきました。

どうも私が間違って、乳がんで悩んで自殺を考えてますか?の質問に1から5段階で自殺を考えてる方に選んでたみたいで、大丈夫ですか?って聞かれて。

それで初めて質問に間違って答えてたのに気づきましたよ。

マスクも普段付けたことないので、付け方を学んだり、、、ああ面倒だわ。

 

その後に放射能専門医に会って、説明を受けてから触診をしてもらいました。

ちなみに私の腫瘍専門医は全然私の患部を診ない先生です。

5年間で実際に患部を診たのは3回のみです。

私も診てほしいと言わないからなのかなあ?

 

 

放射能専門医は私は20日間(月曜から金曜x4週間)放射線治療をする方向で。

シコリが大きいので、最初の3週間は左の胸全体放射線をかけ、最後の1週間は患部を集中して治療する方針だと言われました。

毎日病院に通うことになるけど、私が問題なければ普通に仕事を続けても構わないと。

副作用は皮膚が日焼けをしたようになるので、かゆかったり、赤くなったり、多少疲れるかもしれません。と言われました。

もちろん具体的に副作用など色々書かれたパンフレットも貰い読んでおくように言われました。 

が、今の所読んでません。(始まる前に読む気ではいますよ)

 

で、肝心のいつから治療が始まるかですが、私の咳の原因を調べるためにCTスキャンの予約を取っているのを知っていたので、この結果とさらにPET CTスキャンの予約を取りその結果ガンが他に転移していなかったら治療を始めましょう!

つまりしばらく延期と言われました。

理由のひとつはやはりコロナです。なるべくこの状況で外出は良くないからって。

CTスキャンの予約が約一か月後だったので、そのあとにまた電話カウンセリングの予約を取りました。(つまり5月上旬の予約)

あと、1か月遅れても私の癌の状況に大きな変化はないからって。

これはよく言われるセリフです。

日本の先生もカナダの家庭医を含めたほとんどの先生方が好きなセリフですね。

 

 

 

 

新薬 Ribociclib(KISQALI)とIBRANCE(Pfizer)とFulvestrant (Sandoz)

2020年2月上旬に先生から説明された次に使う薬は:

1)Letrozole (フェマーラ) 錠剤 と
2)Kisqali (ribocilib) (錠剤)です。
 
1)の薬は日本の主治医が閉経した人に向いてるホルモン剤で、次に使うならこれが良いって言われた。
カナダの先生もこれはBC州でカバーするから無料だし、これと一緒い新薬と取れば良いって言われた錠剤.。
 
.2)のKisqali (ribocilib) (錠剤)
これは新薬で上のLetrozoleと一緒に取ればホルモン剤の効き目が上がると言われてた薬。
月に6000ドル(日本円で約50万)かかると言われた。 BC州では新薬なのでカバーされない上に
ものすごく高価な薬なので無理だと思った。
 
主治医が私の主人の会社で加入している保険で2の薬がカバーされるか調べてほしいと言われた。
調べた結果、保険会社からKisqaliは許可がいるので申請用紙を書き込んで申し込んでほしいと言われたので、5ページある申請用紙に患者である私の情報と主人のサインを書いて、残りは主治医が書かなければならなかったので、別件で3月末に予約を取ってあったので、その時に頼みました。
 
ちなみに別件とはコロナ自粛の真っ最中に1か月近く咳をしていたので、他の症状がなかったのでコロナではないとは思ってましたが、乳がんが悪化して肺がんに転移していたら嫌なのでそれを調べて欲しかったからです。
で、CTスキャンの予約を取ってもらい、申請用紙を先生に書いてもらいました。
 
で、主治医の先生がその申請用紙を私が通ってる病院の Oncology Social Workerに渡すので彼女とやり取りをしなさいと言われました。
 
で、色々そのOncology Social Workerの多大なる助けもあって結局決まった薬が最初に話していた薬と全く違う薬になりました。
1)Fulvestrant (Sandoz) 注射タイプホルモン剤
Sandozは会社名で2週間ごとに3回打って、そのあとは月1回注射するらしい。
来年に特許が切れるらしい。 1回ごとに約1000ドル(8万)かかります。
でも保険で6ドル(500円)だけ支払い!
なんて私ってラッキー!!!と色々助けてくれた人たちに本当に感謝してます!!
 
これと一緒に取る錠剤が、
2)Ibrance (palbociclib)  カプセル錠剤
新薬でKisqaliとほぼ同じらしい。違う製薬会社でほとんど似た効果かな?
これはPfizerで保険が下りるまで無料で用意してくれる。
21日間取って7日休む、っていうサイクルで結構強い薬。
触ったら手を洗わなきゃいけないほど毒素があるらしい。
 
こんな感じです。
なぜ薬が変更になったかというと、新薬が高価すぎたので、Social Workerが色々調べてくれて製薬会社の無料援助を受けられるように手続きを手伝ってくれたのです。
その際に、新薬を保険が下りる許可を待つ間無料で援助する代わりに、LetrozoleではなくFulvestrantを使わなければいけないのが条件だったからです。
製薬会社の援助を3つくらい探してもらい結局Pfizerになったのですが、
PfizerがKisqaliではなくIbranceを勧めてきたのも条件の一つでした。
なぜならIbrancはPfizer製薬の薬だから。
 
もちろんこの薬に変更するにあたい主治医の意見もきちっと聞いて、私が納得した上で決めました。
 
ホルモン剤の変更 
Letrozole(錠剤)から Fulvestrant(注射)
 
Kisqali から Ibrance
これらが新薬で上のホルモン剤と一緒に取ればホルモン剤の効き目が上がると言われている薬。
月に6000ドルかかると言われた。
IbranceはPfizerの薬です。
 
 

しこりが大きくなったので治療変更

乳がんになってから約半年に1回CTスキャンをしてシコリの大きさを確認していました。

Tomoxifen というホルモン剤が凄く効いて、シコリが6cmから1cm以下になってから、ずっと1cmぐらいで安定してました。

流石に4-5年目くらいから半年ごとに数ミリ以上大きくなってきましたが、それでも2019年の夏の段階で2cmくらい。 (後で調べて具体的な数字書きます)

去年の12月頃に自分でもわかるくらい大きくなって、1月末に調べた結果、

2.5cm x 3.5cm (調べて書き換える)

いつもより1cm近く大きくなって完全にTomoxifenの効き目がなくなってきました。

でもこれは2018年ごろからわかってたので、私はカナダの主治医にホルモン剤を変えたいとず~と言い続けていましたが、先生は手術でシコリを取るのを進める先生とは意見が合わずでした。日本の主治医もなんでカナダの先生は薬変更しないの?って言われてたくらい。

ちなみに日本に一年に一回帰国して日本の主治医に経過報告とセカンドオピニオンをいつも聞いています。

 

で、この1月末の段階で私のシコリが胸壁にくっついてしまい、もう手術はできないよ、と言われました。

でも手術をしたくない私には全然響かなかったのですが、さすがに皮膚の引きつれる痛みもあり、本気で薬を変えたいをお願いしました。

で、先生の意見は:

1)放射線治療をする。これで癌はなくならないけど、小さくはなるだろう。

2)放射線治療後い、薬を変更するかも。

3)今使ってるTomoxifenはメインの胸のシコリには効き目が亡くなったが、転移してる部分が大きくなっていないし、それ以外も転移していないので、続けていいと思う。

 

この段階で2)の薬は別記事にします。

放射線治療をすることに同意した時の先生の話では、すぐにでも(1.2か月の間に)放射線治療が始まる感じでした。

 

この2020年2月上旬の段階で放射線治療専門医の予約待ちが次のステップでした。

まだコロナがひどくなかったので病院で先生と直接あって普通に会話をしました。

 

 

 

とうとう運動を始める & コロナ騒ぎ始まる

またまた5か月以上さぼってました。

いやあ、この間にかなり変化がありました。

ちょっと頑張って思い出す限り自分の記録として書いていきたい思います。

ブログを始めたのもその為でしたし。

 

去年の12月にいつもと違う痛みを感じ運動を始めました。

その時にがん専門医に連絡してCTスキャンの半年に一回のスケジュールが1月末に入ってましたが、それを速めてほしいリクエストを出しました。

これも12月の上旬くらいに考えだしてから、グチグチ話しにくいなあ等と考えすぎてリクエスト出したのは12月末でした。

触ってみても、見た目もかなり癌が大きくなってる気がしたので。

結果、変更かなわず!でした。

のんびりしている私ですが、さすがに痛みがあると悩みまして、結果友人に誘われてコミュニテイーセンターでやってる1時間のエクササイズクラスを取ることにしました。

雨で散歩という唯一の運動が全然できてなかったし、しこりが大きくなって皮膚が引っ張られ痛みが出てたので、上半身の運動も必要と思ったので、重~い腰をとうとう上げました。

続けられる自信が全くなかったので、有効期限がない10回券をまず購入。

一回4ドルか5ドルくらいの計算です。(日本円で350円から400円くらい?)

市営のコミュニテイーセンターなので安いです。

家から車で5分強ですが、できるだけ歩いて通うことも自分にノルマとして付けました。歩けば約20分から30分です。

身体が超硬い運動嫌いですから初心者クラスです。

できない動きは無理にしない!と、

続ける!これが一番の目標です。 

週2回か3回が一番理想だと友人から言われたので、日曜日の朝8時(これは起きるのがつらいけど、慣れれば大丈夫)夕方5時からのクラスを二つに決めました。

毎日はつらいので、火曜日、木曜日と日曜日です。

 

思ったより楽しく続けていたのですが、コロナ騒ぎで3月中旬にコミュニテイーセンターが休館してしまったのです!

もうコロナのニュースはカナダでは昨年12月頃から言われて、でもあくまでも中国内での対岸の火事的な状態でした。 

ただここバンクーバーは中国人の人口がかなり大きくて、もしかしたら?とは思っていたのですが、2月末あたりからどんどんニュースが増えてきて、とうとう3月に日本でいうロックアウト的なことが始まりました。

基本的に必要なスーパーマーケットとドラッグストア的なお店以外は閉める。

患者・お客と接触しなければならない、マッサージ、美容室系、歯医者なども閉めなきゃいけなくなりました。

レストランは基本テイクアウトだけになり、ショッピングモールもガラガラです。

私は仕事は続けていましたが、顧客のお店がどんどん閉店しているので、いつまで働けるだろうか?と疑問を持ちながら毎日過ごしていたのが3月中旬から末頃です。

現在の恐怖と変な自信

いやあ、、かなり長い間何もアップできませんでした。

まあ基本的に面倒くさがりだし、読者もいないので。

で、過去から順に書いていくつもりだったのですが、今現在の感情を書きたいと思います。

これから理由は書いていきますが、乳がん歴5年で今の所手術でしこりを取っていません。 今現在のの自分の気持ちは”これからも手術する気はありません”。

でも、着実に少しずつ大きくなっているしこりをなだめるのに運動は大事なのですが、私運動大嫌いなんです。

それでも夏の間は週4-5日くらい30分から1時間散歩というより早歩きで坂道の上り下りをやって心拍数を上げる運動をしていました。 

これだけが唯一続いた運動だったんです。

で、冬になります。

日が暮れるのが早いうえにここバンクーバーは冬は雨が多いのが特徴です。

となると外を歩く気がしなくて、2週間くらいさぼってたら、しこり辺りが痛いんです。しこりが痛いというより、わきの下のリンパがはれて皮膚がひきっつって痛い。

身体のバランスを取ってもらっている先生にすぐに運動不足を見抜かれ怒られました。

となると乳がんでは死なないと変な説明できない自信があるにも関わらず、やっぱり不安になってきました。 痛み、違和感は恐怖の感情を生みます。

なので、今日日曜日朝8時からある1時間の身体を動かすクラスをコミュニテイーセンターで受けてきました。2週間のさぼりをもとに戻すにはたぶん1か月以上かかるでしょう。まだまだ寒い冬で雨ばかりなので、コミュニテイーセンターで週2.3くらい運動できるクラスを取るのが目標です。

頑張れ自分! 

 

出発前にしたこと

日本での滞在場所が決まった段階で次のステップ

  • カナダの医者たちを怒らせないように、戻ってきてからの事を頼む。
  • すでに予約が入っていた生検査は受けたけど、それ以外はキャンセルすること。
  • 今まで受けていた検査の結果のレポートをもらい日本に持っていく。
  • 日本行きの飛行機の切符を手配する。
  • 日本の病院の担当者とメールで色々質問をし、予約を確定すること。
  • 仕事はやらなきゃいけないことが多すぎるので行かないが、その都度連絡はして決まったら一度会社に行って報告をすること。
  • 日本の病院を紹介してもらった友人が日本に行く前に相談をして色々助言を受ける。
  • 他にもあった気がするけど、、、忘れました。

自分の中で一番大変だったのはカナダの医者たちを怒らせないように説得すること。

でもこれは自分が日本で治療したいことを心から思って確信した後は、そのことを説明するだけなので思ってたより楽でした。

やはり自分の身体だから自分がどこで治療をしたいかが重要であり、医者の気持ちまで考えなくていいと自分で自分を納得させることでした。

やっぱり先生を怒らせるのは嫌なんですよ。誰からも嫌われたくないって思ってしまいます。先生方もプライドがあって、日本に行く意味はあるのか?って露骨に嫌な顔されましたから。カナダの医療が日本より上だという自負もこちらの先生にはあるし。

カナダに戻ってきたとき、誰にも診てもらえないのは困るし。

家族

一番最初に主人に話しました。

もちろんショックを受けていて、半年も検査結果をほっとかれたことに一番怒り、訴えてやる!と怒ってました。

私が日本の専門医に会える可能性の事を話したら、私の選択に任せると言ってくれましたが正直カナダに残って治療をしてほしいと思ってたと思います。

だって側にいて助けることができるから。

子供たちにはこの最初の段階では何も話していません。

その時長女は15歳、長男は13歳です。私は46歳でした。

まず東京に住む妹に相談しました。

病院が東京にあるから、しばらく滞在させてもらえるかどうかの確認です。

東京なので余分な部屋があるわけでなく迷惑をかけるのは嫌だったのですが、長期滞在になる場合ホテル滞在ではお金がかなりかかるので。

妹もショックを受けてましたが、全面協力をしてくれと言ってくれました。

この段階では日本で一人暮らしの母には何も言ってません。

心配かけたくないから。。。でも結局話してしまったんですよね。

春に一度法事で日本に帰ってるのなぜまた来日するのかの説明するのに嘘をつくのが面倒くさくなって話してしまいました。

すごっくショックを受けていて、言い方や時期を考えて話せばよかったかもと反省。

でも、自分の事を考えるのが精いっぱいで家族の感情まで考えてられないのが正直なところでした。 

嘘をつける性格でもないし。自分の状況を誰にも言わないような性格でもないし。