乳がんと一緒に

2014年乳がんを宣告され, 手術をしない選択をした患者の日記

放射線治療を終えて

2020年6月1日から26日まであった20日間の放射線治療がとりあえず終わりました。

とりあえずと書いたのは治療自体はもうないですが、その後少なくても2-3週間は皮膚の手入れなどでまだ終わった気がしてません。 最終的には終わった後2か月位で平常に戻ると言われました。

 

1週目:6月1日から5日

全然問題なしです。

一応言われていたので毎日と放射線が当たる部分に数回保湿クリームを塗ってましたが、正直何の為?と思ってたくらい。

 

2週目:6月8日から12日

この週も問題なしです。

毎日8000歩位の散歩もやっていました。

ただ木、金曜日辺りには疲れがちょっとありましたね。でも週末には回復してました。

皮膚はだんだん日焼けのように色が濃くなり、ザラザラしてきたので毎日の保湿クリームはさらに頑張って塗ってました。火照りは木曜日辺りから感じるようになりました。

 

3週目:6月15日から19日

水曜日辺りまでは1、2週目と同じ感じでした。

木曜日、金曜日は結構つらくなり、体力が落ちているのを感じてました。

患部が痒くなり、生理食塩水を作ってガーゼに浸して患部に15分くらい着けて火照りを鎮める方法を教えてもらいました。

今までは週末ゆっくりしたら元気になったのに、4週目に入っても元気が戻らず、かなりの時間ベッドでゆっくりしてました。

 

4週目:6月22日から26日

この週は辛かったです。病院と家だけ。

家でもほとんどベッドで身体を休めていました。

痒みや痛みに効く抗生物質入りのクリームを処方してもらい、生理食塩水と一緒に毎日3,4回やってました。

最初に火照りを取るために生理食塩水をガーゼに浸したのを15分やり、其の後に抗生物質入りのクリームを赤黒くなった部分に塗る。

水曜日からは治療後に看護婦さんに患部を上記のように手当てしてもらい、クリームを塗った後にパッド付の大きなガーゼで覆い、下着で作ったガーゼを落ちないようにする簡易ブラジャーみたいな物を付けるのを毎回やってもらいました。

後、皮膚がだんだん捲れ始めたので化膿しないように、専用の別の処方箋クリームを出してもらい、皮膚の皮が剥けたところはそれを付けるように言われました。

 

5週目:6月29日以降

今終わって4日しかたっていませんが、患部の胸の半分と腋の下あたりの皮膚は剥けて真っ赤になってます。

看護婦さんからシャワーは浴びてもいいけど、患部に水を直接当てないようにして生理食塩水だけで、と言われたのでまだシャワーを浴びてません。

下半身はシャワーできますが、上半身はタオルで幹部以外を綺麗にして、髪の毛はキッチンで洗ってます。

皮膚が薄くなってるので、超痛いです。

背中と首もあまり放射線浴びてないはずなのに、今は真っ赤になってかなり痒いですが、掻かないように気を付けてます。

体力は少しづつ戻ってきてますが、皮膚の痛みと痒さで何もしたくない状態。

今週末に看護婦さんにまた会い、今の状態が普通なのかどうか見てもらう予定です。

ぐちゃぐちゃなので。。。

 

乳がんになって初めて患者の気分を味わってます。

他の放射線治療をした患者さんの話を聞いたとき、「全然大丈夫だし、仕事もできるよ」と言われてたのに話が違う!と思ったのですが、考えてみると聞いた人はみんな.皆抗がん剤治療を受けたことある人達で、抗がん剤治療よりマシ、って事みたいです。

私は抗がん剤治療をしたことないので、放射線治療辛かったです。

と言っても最後の週とその後の皮膚のタダレと痛みを伴う面倒くささを含めてなので、甘いなあと思ってます。

他の患者さんは偉いです!

 

待ってる間

次の7月12日予約まで2週間の待ち時間。

正直言って検査が遅いカナダに不満で帰国したのに、結果同じくらい待つのは意味があるのか?って思ってました。

だからと言って今更カナダに戻るのも選択肢になくて。。。

この2週間に

  • 静岡に住んでいる友人に2泊3日で遊びに行った
  • カナダの家族に毎日連絡
  • 7月8日に旦那が生検の結果が出てスライドを病院に取りに行き、FedEXの一番早い便で送ってもらいまた。 カナダドルで150ドルくらいかかった。
  • 7月9日にFedEXから電話で中身を聞かれこれから税関を通すので届けるのは10日予定といわれる。
  • 7月10日にスライドとカナダからのレポートをがん研に持っていく。

後何してたかな? よく覚えてません。

不安だったのだけ覚えてるかな?

 

思い出した!

その当時好きだった、いや今でも大好きなバンドのライブに行った!

すごく励まされ、また行きたいから死にたくないって思った記憶があるなあ。

もう胸がなくなると思ってたので温泉もできる限り行ってた記憶です。

何かしてないと悪いことばかり想像してしまうので、毎日何かをするために外出してたなあ。

 

がん研での最初の予約

2014年7月2日(水)が初診でした。

病院を紹介してもらった友人がわざわざ来てくれて、妹と3人で行きました。

  • 持ってきたカナダでのすべての検査結果を渡しました。
  • 最初の問診は担当医ではなく違うお医者さんでした。
  • Mammogramを左2枚、右2枚、左の患部の近くを拡大で4.5枚とる。
  • 超音波をする。
  • 担当医に会える次の予約が7月23日(月)と言われる。
  • 一緒にいた友人のおかげで担当医に少しだけ最後の患者さんの後に会うことができました。

23日まで何もないのは生検の結果がないと何もできないからだと言われました。

もし良性なら放射能を使った検査を沢山して無意味な被ばくする必要ないとも言われました。でも何もしないで21日間も待つのが不安なら14日リンパ線の検査予約を入れてくれました。

生検は身体に負担があるので一度やったならその結果を待つ方が良いとも言われました。たとえ日本で今やっても結局20日間くらい結果が出るまで時間がかかるので、待ち時間は同じだとも言われました。

カナダで受けた生検の結果は主人が準備ができ次第取りに行って一番早いFedEXで送ってもらう予定ですが、確かにその時点で約12日近く待つ予定でした。

そして7月16日から18日までちょうど学会があり、ほとんどの先生がいないので、もしこの時期に生検の結果が届いたら、病院に届けてほしいと。

あと23日の予約を16日に速めてもらいました。

交渉してくれた一緒にいた友人に本当に感謝です。

 

カナダでの検査が遅いことが凄く不満だったのですが、結局日本でもかなり待つことになり不安でした。

 

日本に帰国する直前にしたこと

日本で治療をすることを決め、最初の予約が2014年7月2日でした。

色々な手続きもあるので、日本に2014年6月30日には到着する必要がありました。

なので、カナダを6月29日の飛行機で出発30日に日本着に決め飛行機を手配しました。

JALのオフィスに直接電話して予約をしたのが6月26日です。

 

6月27日(金曜日)にしたこと:

  • JALに電話して発券する
  • 日本の主治医を紹介してくれた友人と妹と細かい打ち合わせをする。
  • Bone Scan、UltrasoundとOnclogysitの予約が確定していたので、それらをキャンセルすること。
  • Onclogysitは直接話せなかったので留守電にメッセージを残し、外科医の受付とは電話で話せたので、外科医が予約を入れてくれて、まだ決定していない予約のキャンセルを頼みました。で、戻ってきたら連絡するので継続をお願いしました。
  • 職場に行き、みんなに今の状況を説明して休暇中だった社長さんへメッセージを残す。日本に着いたらメールで連絡することを伝えました。
  • ランチ時間にファミリードクターに会いに行き、
  1. 日本行きを説明してお礼とお願いをしました。
  2. 日本行きについてはたぶん理解してもらったとは思わないけど、英語で説明を受ける不安や、日本の家族のサポートや日本で最先端の治療が受けられるから、みたいな理由を言った気がします。 
  3. 新患として受け入れてくれたことに物凄く感謝していることを伝え、戻ってきた時に継続してお世話になりたいことも伝えました。
  4. 先生が持っている検査結果のコピーをもらう。
  5. Biopsyのスライドができたら旦那が病院から借りてそれを日本に送らなきゃいけないため、その受けとりの手配を頼みました。
  6. 日本の先生に渡す手紙をファミリードクターに頼みましたが、これは断られました。

 

6月28日(土曜日)

この日のメモは見つからず。 

たぶんひたすらスーツケースに必要な物を詰めて、家族と一緒にいた記憶です。

子供たちにこの日ではないけど、私が乳がんになったこと、日本で治療することは伝えました。

12、13歳だった息子はどこまで理解してこれたのか疑問ですが、15歳だった娘は分かってたようで初期なんだよね、って泣いてたのを思い出します。

正直言って詳しくは子供には伝えてなく、日本で詳しく検査をしてもいに行くと説明しました。なぜ日本で、とは説明できませんでしたが。

いつまで日本に滞在するかもその当時わからず、不安だらけでしたが、一緒に行きたがっていた旦那が残って子供の面倒を見ながら仕事も家事も全部やってもらえることに心から感謝しています。

 

Biopsy(生検査)と日本行きを決定する

2014年6月26日にBiopsyのために病院に行きました。

この日までに日本行きを8割9割決めておりましたが、まだ最終決断として誰にも言ってませんでした。悩んでいたので。

 

日本でBiopsyをするかカナダでするかとっても迷いました。

日本で初期治療をするなら日本でやった方がいいのかもしれませんが、次の日にもう予約が入っており、色々キャンセルをするのも前日だと遅すぎるかな?とかってに解釈してカナダでこの検査をして、スライドを日本に送る手配をする方針に決めました。

日本のがん研有明病院の手続きを手伝ってくれた人曰く、Biopsyは身体に負担とリスクが高いのでどちらにしても1回にした方が言われてました。

色んな考えなきゃいけない事や情報が多すぎて頭がかなりパンク状態でしたので、後日の検査は電話でキャンセルできるが、次の日のは近すぎたので諦めたのが理由かな?

面倒なことが多すぎて心がパニックってましたね。

 

で、実際のBiopsyですが、5か所サンプルを取られました。

まず局部麻酔をかけます。

私のシコリは大きくてわかりやすい場所だと思います。

大きい注射器でシコリの細胞を抜き取るのですが、なぜ5回も取ったのかわかりません。

正直言って麻酔が聞いてるのに振動で痛かった記憶です。

 

そのあと病院内にある記録係みたいな場所で検査結果のコピーをもらう手配をして、そのあとファミリードクターに会いに行きました。

 

ファミリードクターにこれからの流れをきき、私は日本での治療と手術を行う可能性をここでも聞きましたが、まあOnclogysitと同じように多少不機嫌になりました。

でも、決めるのは私しだいとは言われました。

結構この辺は典型的な日本人である私は人を怒らせるくらいなら自分の意見を諦めるタイプなので、この時点ではかなりの確率で日本に行くつもりだったのに、どうやって先生に説明しようかまだ悩んでいました。結局この日には何も言えず。

 

ファミリードクターに会った後、Mammogram、胸部のX-rayと超音波の検査結果をCDにコピーしてもらい25ドル支払ってそれを取りに行きました。

 

この日は仕事に戻らず、旦那と話し合いをして私の日本行きを最終的に自分で決めて、てその手続きをやることになりました。

主人は正直私にカナダに残って欲しかったと思います。

彼自身がが私のそばにいて助けることができるし、状況がわかるから。

子供たちは日本でいう小学校高学年と中学生で、それほど手はかからないとは言え、仕事をしながら食事の支度など家事すべてをやってもらうのは気が引けたのは事実です。

でも私の身体なので私が納得する治療を選んだ方が良いと後押しをしてくれました。

本当にその一言には救われました。家族と一緒にいたい気持ちは本当に大きかったのですが、カナダの医療システムに対する不満があまりにも大きくて日本を選んだのも大きいです。信頼できなければ良い結果にもならないと思って。

 

専門医に会う

2019年11月18日のブログ「出発前にしたこと」の続きをやっと書きます。

 

私の場合、日本行きを決める前にファミリードクターから

腫瘍専門医Onclogysitと

外科医Surgeonを紹介されてました。

結構早く会うことはできました。最初に話したことです。

 

外科医 Surgeon:

ファミリードクターの紹介でOnclogysitより先に会ってます。

触診と口頭で説明を受けました。

ほとんど検査をしていなかったので以下の検査の手配をしてくれました。

Ultrasound(超音波)

Biopsy(生検査)

Bone Scan(骨シンチ)

X-ray(レントゲン)

後、心電図や腹部、骨盤あたりの検査も言われたような。。。。忘れました。

で、Onclogysitの予約も取ってくれました。これはファミリードクターだったか外科医が先だったか覚えてません。

 

で、言われたのはシコリが大きすぎるので、すぐに手術は無理だから薬で小さくしてから手術すると言われました。 

大きいので全摘になるだろうと。

何にしても検査を受け、Onclogysitの方針に従うように言われました。

 

 

腫瘍専門医 Onclogysit:

Biopsy(生検)をしないことには何も言えないと言われました。

今ならこの意味は分かります。

Biopsyの結果でどのタイプの乳がんかわかるので、それをしないうちには何も提案できないってことだと思います。

この段階でまだ決めていなかったけど日本でもし手術をしてカナダで治療を継続してもらえるか聞きました。

「できる」とは言われましたが、おすすめしないと言われました。

理由は私の金銭的負担が大きいこと。(カナダは基本治療費手術代無料です)

日本でも検査結果が出るまで待たされるのは同じだから(カナダで半年待たされたのに検査が遅いことに不満があり、その答えだと思います)

あとこの先生はカナダの医療レベルにプライドをすごく持っていて、レベルの低い日本に行く理由がわからないような感じの事も言われました。

もちろんこんな直接的な表現ではありません。

これに関しては、日本の医療レベルをしらない先生に対して腹が立ってもしかたないと、今の私ならわかります。

でも、当時は不安だらけでマンモグラフィ検査を受けたのに半年も結果を無視されカナダの医療システムに疑問が多すぎたので、先生の言うことを素直に聞けませんでした。

 

とりあえず、MRI、Biopsy(これはもう外科医が手配済み)血液検査の手配をしてくれました。

次の予約はそれらの検査が終わるだろう3週間後と言われました。

 

 

放射線治療の下準備

先日放射線治療の準備としてCTスキャンを取りに病院に行きました。

何をしたかというと、

治療をするにあたり毎日同じ場所に放射線を当てるため、その場所を確認することだと思いました。

毎回15分くらいかかるらしいです。

何回か20秒息を止められる練習をしました。

後、何度も何度も私の身体を少しずつ動かして、動かないでも苦痛ではないか確認されました。

最終的に身体に4か所くらい小さな入れ墨みたいな、絶対取れないマークを付けられました。ちくっと痛いくらいで、注射の針が刺さる時より楽でした。

私の身体は年を取ってシミやホクロだらけだし、患部の見た目が結構ひどいので、すごく小さいマークは全然気にならない、ですね。

それより片手か両手を15分間ずっと上に挙げていなければならないのが思ったより辛かったです。

運動不足だからでしょうか?

本番までに練習してほしいと言われました。

最後にはしびれを感じるくらいにつらかったです。